Everybody, Everywhere, Everytime, Enjoy Music!

ヒストリー

2015年

株式会社淡海・音楽企画制作事業部にてアーティストマネジメント開始
東京事務所始動

東北応援事業〜『はぎのさんちのコンサート』開始 (陸前高田市・名取市)

2010年

「ルッチの未来のピアニスト育成事業」開始(〜2015)
兵庫県たつの市との協働事業実施(能・ピアノコンサート)

2009年

平和堂財団ガラコンサートプロデュース (2009.2014)

2009年

北米能公演プロデュース  (〜2014)

●2009年9月 『京都ボストン姉妹都市提携50周年事業記念公演』
  会場:アメリカ・ボストン市 ジョンハンコックホール  
  後援及び共催:ボストン市、京都市、在ボストン日本国総領事館、ボストン日本協会
         ボストン日本人会 
  出演:京都花習塾 代表 片山伸吾(観世流シテ方能楽師)他 総勢12名
                                  
●2011年3月 アメリカツアー 『平成22年度文化庁国際芸術交流支援事業』採択
 3/16 ポートランド州立大学リンカーンパフォーマンスホール(オレゴン州ポートランド)
 3/17 パシフィック大学 (オレゴン州)
 3/19 タウソン大学ステファンホールシアター(メリーランド州タウソン)
 3/20 スミソニアン美術館サックラーギャラリー(ワシントンDC)
3/21 キメルセンターペレルマンシアター (ペンシルバニア州フィラデルフィア)
 3/22 ,24,25,26 ジャパンソサエティホール(ニューヨーク州ニューヨーク)
 3/27 シカゴ大学 (イリノイ州シカゴ)
 3/29 イリノイ大学クラナートセンター (イリノイ州アーバナ)  全10公演
   *ニューヨーク公演は「カーネギーホールジャパンフェスティバル」事業の一環
   招聘:ジャパンソサエティ(在ニューヨーク 日本協会)
   出演:京都花習塾 代表 片山伸吾(観世流シテ方能楽師) 総勢24名

●2012年5月 カナダ公演
  5/7 カナダ・バンクーバー   カルチホール
  5/8  〃  ホワイトホース  ユーコンアーツセンター
  5/9 〃  ウイニペグ    ガスステーションシアター
   出演:山井綱雄(金春流シテ方能楽師)ほか5名
招聘:在バンクーバー日本総領事館  在カルガリー日本国総領事館
   *『文化庁国際芸術交流支援事業』『東京芸術文化創造発信助成事業』採択

●2013年5月 北米公演
  5/9~5/17 カナダ・バンクーバー、アメリカ・ニューヨーク 公演予定
出演:山井綱雄(金春流シテ方能楽師)ほか7名
   招聘:在バンクーバー日本総領事館  
ジャパンソサエティ(在ニューヨーク 日本協会)

●2014年4月 カナダ公演
   カナダ・バンクーバー
出演:山井綱雄(金春流シテ方能楽師)ほか10名
   招聘:在バンクーバー日本総領事館 

2007年

草津市との協働事業「オペラ学校」実施(〜2009) 
      (文化庁「文化のまち芸術創造事業」採択)

2006年

全国都市再生まちづくり事業採択

2005年

大津市まちづくり事業採択「夏の第九」

2004年

◆マンスリーアトリウムコンサート~Le Chant 琵琶湖ホテル  
『文化庁文化ボランティア推進事業』に再度採択される。
 (説明文は、萩野美智子『ブラームスホール 18年の軌跡』 より抜粋)

2003年

◆3月、滋賀県で「世界水フォーラム」が開催された。協賛参加事業として琵琶湖の写真と音楽による『淡海(あわうみ)詩情コンサート』を開催した。
◆3月21日 世界水フォーラム協賛事業『淡海詩情コンサート』 ピアザホール

◆滋賀県教育委員会主催『中学校邦楽鑑賞会』事業    (〜2005)    

NPO法人設立後、新しい視点での事業推進を図ってきた。観光の視点での事業『びわこ音楽祭』が『びわ湖まつり』の事業として補助金が交付され実施の運びとなる。

◆8月1日 第1回びわこ音楽祭2003~竹生島コンサート  竹生島・宝巌寺
          *びわこ音楽祭・・・7月中旬~8月 滋賀県内で開催

 未就学児の親子のためのクラシックコンサートを開催した。これには、医療事業団「子育て支援事業助成」に採択された。県内4ケ所で開催。草津地区の会場ではチケットが完売。そして、そのほとんどはスーパーのチケット売り場であったことは驚きであった。

◆11月 親子で聴くクラシックコンサート~動物の謝肉祭
               大津市民会館、高島町ガリバーホール、草津文芸会館、水口文芸会館
 『文化庁文化ボランティア推進事業』に採択される。事業の際の運営ボランティアが中心である。事前講習として、ブラームスホール協会の活動履歴や活動ミッションについて講義の時間を持った。単なる人手になっていただくボランティアではなく、協会の一員として働いていただくことが必要であるからだ。そして、ボランティアの評価システムも構築した。
その他、『滋賀県コミュニティビジネスモデル事業』『日本財団助成事業』に採択される。
 音楽家倶楽部MAP事業として新人を紹介するコンサート・メンバーによるコンサートを実施。

◆6月 MAPフレッシュコンサート びわ湖ホール
◆10月 MAPサロンコンサート ブラームスホール

2002年

当協会の活動する会員として音楽家倶楽部MAP(Music Available Partnershipの略)を設立。様々な分野の音楽家70名が入会した。和楽器・声楽・ピアノ・管弦打楽器の各分野の代表が運営委員となる。「音楽家のネットワーク」「情報交換」を目的として活動を開始。(萩野の願いとしては、地域の音楽家による地域に根ざした活動をブラームスホールを拠点として展開して欲しいのであるが、組織として活動を活発にするには時間が掛かる模様である。) 

2001年

◆1月7日 滋賀県採択事業「ニューイヤーガラコンサートn滋賀」(びわ湖ホール大ホール)

 この年、滋賀県は『湖国21世紀記念事業』なるイヴェントを開催。市民活動団体の参加を促し、NPO活動の推進を図った。当協会では、県庁文化振興課から、滋賀県委嘱作品の制作を委託された。作曲家池辺晋一郎氏に依頼、記念曲『オーケストラ作品~水の音(ね)』が完成。3月24日湖国21世紀記念事業開会式記念事業として『Hello!2001Special Concert』を開催した。演奏は地元メンバーで構成された100名編成の特別オーケストラであった。委嘱作品の著作権の交渉も大きな仕事であった。

◆3月 湖国21世紀記念事業~Hello!2001Special Concert びわ湖ホール大ホール
     指揮:池辺晋一郎 井上道義  演奏:特別オーケストラ
     プログラム 滋賀県委嘱作品『水の音(ね)』 『春の祭典』

◆草津近鉄百貨店でのレギュラーコンサート『ふれあいコンサート』毎月2回開催。

ブラームスホールでの事業をしばらく止めることにしたため、事業数が激変。

◆4月1日  ルッチプラザベルホール開館記念コンサート 山東町ルッチプラザベルホール
前年より、山東町(現 米原市)に建設中の複合施設ルッチプラザの音楽ホールプロデュースを依頼され、準備してきた。当時の三山町長の文化のまちづくり構想のもと、町長・3名のプロデューサー・館長・担当職員による会議によってホールの方向性や事業内容を決めていった。そして、2001年3月10日開館した。正に「協働作業」であった。(以後、2005年の市町村合併により三山町長が退任されるまで継続されていった。)
この、山東町のプロデュース事業の中で、一番重要視したのは『観客創造』であった。そのため、ホール主催事業として、町内の小中学生のための鑑賞教室を開催した。5月最終週4日間8公演、小学校低学年・高学年・中学生と分けて実施。一方的な鑑賞型ではなく、ワークショップも取り入れた参加型事業とした。この事業の成果は直ぐ現れた。2年目には、ホールでの鑑賞マナーは注意することはなくなった。また、保護者からも要望が出てきたため、3年目からは夜に一般公開コンサートも開催した。出演者は4日間、町に滞在するので、レジデント的な要素も持ち合わせていたのである。

◆5月28日~31日 山東町内学校鑑賞会   山東町ルッチプラザベルホール

2000年

特定非営利活動法人ブラームスホール協会設立
2000年8月、NPO法人「ブラームスホール協会」が認可されたのである。「私」から「公」への転換であった。しかし、この分野でのNPO法人は全国で初めてであった為、また、試行錯誤のスタートなった。

ミッションとは?
 非営利の紋所を目指して設立した協会(ブラームスホール協会:以後 協会)なので、名前が変わっただけと思っていた。ところが、設立直後から、問題にぶつかった。以前は自分のやりたいことを、自分の意思で決めていた。しかし、理事会で「この事業は何のためにやるのか」「コンサートをやりたいだけでは支持はもらえない」「これでは社会での認知は難しい。理事長萩野さんのためにやるのか」「活動していくための仕組みは?」「この活動はどのような社会貢献につながるのか?」と手厳しく追求されたのだ。要するに、協会のミッションを明確に打ち出せていなかったのである。助成申請の際にも同じことがいえた。事業の実施に追われ、それが「クラシック音楽の普及」と考えていた自分の甘さに萩野は頭を殴られる思いをした。そして、企業としての活動と公の法人としての違いを改めて知ることとなった。
「何がしたいのか」「何をするべきなのか」・・・・それまでの15年間の活動を振り返り、改めて、協会の活動のあり方・ミッションを考え直した。この立ち止まりは萩野にとって辛いものであったが、それまで、ただ前を見てやってきていたので、見直す機会となった。役員会・運営委員会で議論を重ね、『音楽が溢れるまちづくりをめざして~365daysコンサート』というコンセプト作成に至った。
『音楽が溢れるまちづくり』とは、「街の中に音楽の演奏が数多くなる」ことよりも、
「音楽を楽しむ人たち、クラシック音楽には余り縁のなかった人たちが増えていくこと」を意味している。NPO法人ブラームスホール協会は、その中で「繋ぎ手」になるべく活動を推進していくことを目指そうというものであった。

NPO法人設立後、新しい視点での音楽を手法にした事業展開が開始されていった。
① 観光の視点による文化事業「びわこ音楽祭」
滋賀県観光課へ提案して実現された事業である。「文化振興」事業でなく、「観光のにぎわいづくり」事業として位置づけられた。
②「ボランティアコンサートスタッフ養成講座・評価システムの構築」
  テーマコミュニティ創造を担う大きな役割をボランティアの存在は持っていた。た
だ、問題は、その運営をボランティアでは難しいことであった。
③「音楽家派遣システムの構築」
  学校教育や生涯学習の現場に特化した人材派遣事業である。地元の人材を有効に活用して、人材の地産地消を目指していた。
④「音楽家倶楽部MAPの設立」
  関わりのあった音楽家のネットワークづくりであった。活動する組織・活動するホールを目指して、また、雇用の関係ではなく活動メンバーとしての協会員を増やすことを目指している。

2000年8月1日NPO法人ブラームスホール協会が認証され、運営を全面的に移管した。滋賀県が募集した提案事業に採択され、2001年1月にびわ湖ホールで実施した。

1998年

◆ブラームスホールでのサロンコンサートを中心に事業を実施。

◆レナード・バーンスタインズ ニューヨーク びわ湖ホール
9月にびわ湖ホールは開館。12月に共催事業として、「レナード・バーンスタインズ ニューヨーク」を開催した。事業は成功したが、びわ湖ホールでの開催は事業予算が大きく、民間が事業を実施するには負担は大きすぎた。

◆平和堂財団リサイタルの夕べ びわ湖ホール
  財団法人平和堂財団の音楽家助成事業に運営に携わることとなる。地元の音楽家の活動支援はミッションを同じくするものであった。助成受賞者のジョイントリサイタルを提案。以後、継続されている。    

◆平和堂財団芸術奨励賞採択事業(〜現在)
◆〃「リサイタルの夕べ」プロデュース(〜現在)

草津駅前の再開発事業により近鉄百貨店がオープン。レギュラーコンサートを提案。以後、「ふれあいコンサート」として2002年まで毎月開催された。

1997年

◆ミュージカル『ガリバー旅行記』 高島町ガリバーホール

◆第1回大津メモリアルオーケストラ公演 (大津市民会館  指揮 佐渡裕) (〜2001)
 大津市民会館は開館20年を迎えていた。今までは買取公演のみの実施であったが、発信するホールになるべく、新しい事業展開の相談を受けた。県内では、県立石山高校音楽科の卒業生も含めて、プロの演奏家が増えていたが。滋賀県内の公立ホールの主催事業に地元演奏家が出る機会は少なかった。萩野は常々地元の音楽家の活用を提唱していたことも
あり、地元のプロメンバーによる特別オーケストラ事業を提案した。オーケストラ事業のノウハウもなく、メンバーの確保を含めて、手探り状態でのスタート。本番では満員の聴衆を前に、佐渡裕氏の指揮のもと90名のオーケストラの音色が鳴り響いた。当初は地元メンバーは6割に満たなかったのだが、5年後には9割が地元出身者で占めるようになった。当時、「協働」という言葉はまだなかった。組織も企業形態で、契約は「委託」であった。しかしながら、行政と同じミッションを持ち、事業を推進し、実現させていく・・・この事業は正に「協働事業」であった。その後、子供たちのためのワークショップや公開リハーサル、メンバーによる学校訪問・吹奏楽の指導など「アウトリーチ事業」へも拡がった。5年間継続されたが、行政の予算縮小と文化ホールの事業評価問題により終了してしまったのは残念である。

12月1日FM滋賀が開局。萩野は音楽&トーク番組『MUSIC BREZE』でDJ及び構成を担当。会社としては、広告代理店契約を交わし、安定した収入を目指した。また、新しい仕掛けとして、ホールコンサートと連携した事業を立ち上げ、クラシックのライブコンサート・公開録音や企業協賛事業など実現させた

1996年

◆園田高弘レクチャーコンサート (ブラームスホール 〜2000)
◆親子で楽しむ みなくちクリスマスコンサート( 水口文芸会館 )
 
 ホールの会員との交流がきっかけで、地元水口町で子供たちのためのコンサート開催の計画が起こった。水口町(行政)・地元企業・市民の協働事業によるコンサートをプロデュース提案。資金調達・運営・責任を同等に負担する新しい仕組みを確立した。この「みなくちクリスマスコンサート」の出演を機に、水口児童合唱団が設立された。子供たちは、プロとの共演により、本物を知り、舞台に立つ厳しさを体験。翌年もプロデュース。それ以後は、児童合唱団の運営スタッフにより、コンサートが継続して開催されている。

1995年

◆高島町ガリバーホール 絵本オペラ『ヘンゼルとグレーテル』
◆『淡海自動車サンクスコンサート』
◆オペラティックコンサート『カルメン』 野州文化ホール

1994年

淡海自動車が「ホールのあるくるまやさん」として全面改装。
◆改装記念として『ブラームスホールの仲間たちによるわいわいがやがや楽しい音楽会』を開催。

 県内の文化ホールの開館ブームが続いていた。開館記念コンサートのプロデュースの依頼も多かったが、同時に、企業からコンサートやイヴェントのプロデュース依頼、そして学校からの出演依頼が増える。
 また、オペラ『ヘンゼルとグレーテル』を絵本オペラとして構成・制作。高島町ガリバーホールにてはじめての公演。独自の企画品の制作が始まった。

◆安土町文芸セミナリオ開館記念コンサート~淡海詩情コンサート

1993年

◆『ブラームスホールで音楽を聴く会』
◆音楽家との共催事業『サロンコンサート』
◆草津市職員のプロジェクトとの協働により『ロビーコンサート』シリーズ

1992年

◆ブラームスホール開設5周年記念事業及び例会100回記念として『ブラームス讃歌』
◆草津市アミカホールこけら落しコンサート
◆『園田高弘ピアノリサイタル』 
◆中主町さざなみホール開館記念コンサート 『ふるさとの四季』

1990年

◆ブラームスホール開設3周年記念事業 
   ~フンパーディング作曲 歌劇『ヘンゼルとグレーテル』 (全三幕)(大津市民会館)
◆『かんでんクラシックスペシャル』(比叡山根本中堂)

1989年

◆『サタデープロムナード』

1988年

◆『ベートーベンソナタ全曲演奏シリーズ』

1987年 『ブラームスホール』開設

 1987年、滋賀県栗東町(現 栗東市)で自動車整備販売業を営む淡海自動車は、創立35年を迎えていた。当時、淡海自動車は、資本金2,800万円、年間売り上げ約8億円、社員25名の中小企業であった。代表取締役社長萩野敏晴(現在 代表取締役会長)は、「創立年を記念して、地域に貢献できることをしたい」と考えていた。そこで、専務萩野敏幸(現在 代表取締役社長)・美智子夫婦(共に当時32歳)にそれを託したのである。「社屋の2階を使って何か新しいことを考えるように」との命が下った。
その当時、社屋の2階は、社員寮、休憩室、物置として使われ、広さは約50坪であった。淡海自動車の立地する栗東町手原8丁目は、国道1号線と8号線が交差する交通の要所で、トラックターミナルとして設けられた一角であった。
 専務萩野敏幸は、淡海自動車の後継者として入社したばかり。美智子は、関西二期会に所属する声楽家で、当時は淡海自動車の経営には何も関わっていなかった。
 社長の命により、二人は記念事業の立案に掛かった。
 「地域に貢献するような事業」「何がこの地域に貢献することか」・・・と案を巡らす中、
萩野美智子は自分の音楽活動の中で常々感じていることを実現できないかと考え始めていた。当時の滋賀県内には、大きなホールしかなく、また、参加できる事業も少なかった。まして、音楽専用ホールはなかった。若い音楽家が育つためには、その場所・機会が必要である。しかし、大きいホールでは、コンサートの開催に際して、費用も掛かるし、運営も大変である。もっと手ごろで、気楽に演奏できる場所があればいい。それは、この滋賀県の音楽文化シーンが活性化することに繋がり、地域に貢献することになる。
 「地域への貢献」「若手音楽家への活動場所の提供」・・・・この思いのもと、社屋の2階に「演奏できる場所」をつくる方向で準備が始まったのである。この時点では、「ホール」までのイメージは、萩野達にはなかった。
 早速、楽器製造会社の音響部門に相談をかけた。日本の2大楽器メーカーの一つではあったが、大きい規模の工事は始めてであった。しかし、意欲的に関わってくれた。そして、その後、いくつかの調査を経て、「演奏できる場所」から、「音楽専用ホール」への話が進んでいった。
 設計デザイン・音響防音工事・経営者・・・関わるメンバーは全て初めてであった。
まずは視察からスタートである。しかしながら、東京・名古屋・大阪での民間の小ホールを探したが、個人的に自宅の一角にサロンを持っている所がいくつか存在するだけであった。唯一、1981年に名古屋で開設された「スタジオ・ルンデ」が参考になった。客席数70の個人経営によるミニホールで、ここの運営は全面的に「ブラームスホール」のお手本にした。
 この時期に作成された事業計画書にはコンセプトが次の様に記されている。
『淡海自動車工業株式会社の立地は国道一号線に近く位置し、八号線、名神高速道路栗東インターチェンジにも近く交通の便に関して比較的便利な所に位置しています。 栗東町及び周辺都市とりわけ草津・守山両市に隣接し、近年人口の増加の最も激しい地域であります。
それらの多くの人々は特に京阪神地区からの移住、又は京阪神地区への通勤が全体の50パーセント以上も占めるといった大都会の典型的なドーナツ現象の中で周辺は開発されてきました。全体に若い家族も多く、平均的に都会のセンスのある人々が多く住むようになってきました。
従って、田舎の栗東町と言えども、その波をまともに受けているように思われます。移動してきた都会人に限らず、最近では、多種多様の趣味人が増え、中でも音楽は万人共通の様でもあります。
大都会周辺は大なり小なりホールが多く存在しますが、滋賀県下では音楽専用のホールはありません。故に、この事業はパイオニア的存在と真価が問われることになるでしょう。」
          (1987年 淡海自動車工業株式会社 新規事業計画書より抜粋)
 
 ハード・ソフトの設計図面が出来上がった段階で、滋賀県庁へ相談にいった。萩野美智子が1981年開催のびわこ国体記念オペラに出演した際、文化振興課長であった上原恵美氏(1987年当時、滋賀県商工労働部長・現在、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール館長)に相談。行政関係者、県内の文化関係者を紹介していただき、ホールの図面を持って、多くの方に意見を頂戴したのである。
そして、1987年6月、「淡海自動車音楽ホール」のプロジェクトが動き出し、社屋の2階の改築工事がスタート。客席数120席(椅子の配置によって調整)のクラシック専用ホール・控え室1・レッスン室1・調整室で50坪。ホールの内装には、ピアノ用の木材カナダ産のスプルースがピアノ用の塗装後、使用された。正に、ホール全体が楽器である。ホールの名前はクラシック専用であることがわかように、そして、地味だが暖かい音楽を奏でる作曲家ブラームスを愛する萩野美智子の命名で「ブラームスホール」と決まった。音楽を通して、人と人とがふれあう場所にしていこうということで「ふれ愛を奏でる」がキャッチコピーとなった。総工事費約1億円。当年12月5日、「ブラームスホール」が産声を上げたのである。
 
当時の滋賀県は文化不毛の地と言われていた。今でこそ、滋賀県は世界に誇るびわ湖ホールを持ち、県内のホール保有率は全国トップレベルだが、1987年当時は、500~800席の県立会館(6)と1000席余りの市民会館(3)があるだけであった。各ホールでは、年に数回の公演が実施されていた、それらは東京からの買取公演であった。
1985年、「文化小劇場整備補助」が開始され、滋賀県の文化シーンの整備に向けて準備が始まったはかりであった。
 市民文化活動においては、アマチュアグループの活動は盛んになってきていたが、プロの音楽家にいたっては人数も少なく、ほとんど演奏活動もされていない状況であった。
 国の文化行政においても、1990年に芸術文化基金の設立・メセナ協議会の設立が行われるのであるから、正に「文化の夜明け前」の状態であったと言える。
 民間ホールの動きもまだ少なかった。1981年、名古屋でスタジオ・ルンデが開設された。
ここは、全く私設のホールで、客席数70席余りの小さなサロンであった。時期からしても、
先駆的な活動である。ブラームスホールの運営の手本となった施設である。
 1982年に大阪で朝日放送による「ザ・シンフォニーホール」、東京では、1986年サントリーによる「サントリーホール」・主婦の友社による「カザルスホール」が開場をむかえている。
 1985年から始まった「バブル景気」の中、全国各地でホールの建設計画は始まっていた。
                  

 ブラームスホール開設以来、当初はホールでの主催事業が中心であった。その後、「文化行政から文化政策へ」の流れに沿うように、文化振興・地域振興事業を行政からの委託事業として手がけていった。

1987年

◆ブラームスホールオープニング記念コンサート  
◆ホールオペラ『コシ・ファン・トゥッテ
◆アンリエット・ピュイグ・ロジェ ピアノリサイタル、公開講座
◆金昌国 フルートリサイタル

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